お天道様が見てる
子供が小さい時、いつも言ってた事があります。
「自分が一人でいる時に、どんな行動がとれるかで、人の価値は変わるんだよ。誰も見てないから、ゴミを平気で捨てる人間になってはダメ、誰も見てないときこそ、正しい事をしなさい」
お天道様が見てるってことですね。私はおばあちゃんっ子でしたので、自然にそういう風に教わり、生真面目にその教えを守ってきたところがあります。
ある人が、他人といる時と、一人の時とは行動が違うかどうかは、実際のところ見る事が出来ないので、わかるはずはないのですが、日々一緒に行動していると、不思議とわかってしまいます。
いつも遅刻ギリギリに来る人、忘れ物が多い人、約束を守らない人、簡単にお金を借りる人、こんな人はほぼ間違いなく一人の時も不真面目です。
不真面目を非難する積もりは毛頭ありません。真面目に生きようが、不真面目に生きようがその人の人生です。
ただ、誰にも見られてないから誰にも知られないと思っているとしたら、それは甘いよ。皆んな知っているよ、ということです。
つまり、全てをお天道様が見てるんですよ。ということです。
今日もいい1日でありますように。
悪気のない人
例えば、会社の皆さんでどうぞ〜といろんな種類のケーキをいただいたとします。
すると、いつも必ず一番に「私、これがいい」と自分の好きなケーキを選んで、おいしそうに食べてしまう人がいる。
誰か他の人がそのケーキを食べたいなぁ〜と思っていたかもしれない、なんて露ほどにも考えない。
悪気がないのである。
そして、一番最後の残り物を食べる人もいつも決まっているのだ。
いつも残り物を食べる人は、残り物でいいと普通にその現実を受け入れるタイプなのか、本当は一番に食べたいのを我慢して、いつもお先にどうぞと譲ってしまうタイプなのか。
一番にケーキを食べる人は、いつも同じ人が最後の残り物を食べているなんて事は知る由もなく、知る気もなく、そんな優しさに気づく事はない。
もし、知ったとしても、一番に食べる人からすれば、食べたいケーキがあるなら、口に出して言えばいいのよ〜というだけであろう。
あくまで意地悪ではなく、悪気はないのだから。
世の中には誰にも知られず、いつも残り物を食べている、そんな優しい人がいる事を、悪気のない人にも知って欲しい。
悪気のない悪人が最近増えている、そんな気がする。
目に見えないものこそ大切
先日行った愛知県美術館の『芸術植物園』の絵画の中に、花、茎、葉以上に大きな根っこを凄く繊細に描写した絵が何点かあった。
可憐な花の根っこが、かなりグロテスクで大きな事に驚いた。
改めて私達が目にしている物は、真実のごくわずかな部分でしかないのだと思った。
美しい花を生かしているのは、目に見えない根っこだという事。
私達は普段生活している中で、いろんな判断や評価をしているが、その基準をどうしても目の前に実際見えることだけで決めてしまっている事が多い。
それでいいのかって思う。
人それぞれが、いろんな事情を胸に秘めて精一杯に生きているんだよな〜
今日もいい1日でありますように。